福山市立動物園飼育員ブログ
『良太郎を悼んで』
テーマ:ミーアキャット 投稿日:2019年1月6日
以前、園の公式Twitterにおいて、ガンを患っていると園長が公表していましたミーアキャットの良太郎が逝きました。

8月末にガンが分かってから、およそ4ヵ月後のことでした。
最期は、獣医師の介助によって安らかに迎えることができました。

最初で最後となりましたが、良太郎のことをお伝えします。


良太郎は、2007年9月19日に千葉市動物公園で生まれ、お兄ちゃんのモモタロスとともに2010年3月28日に福山市立動物園にやって来ました。
全体的にこげ茶色の被毛でタヌキ顔なモモタロスに比べると、良太郎はやや細面で鼻から額にかけての色が淡く、ミーアキャットらしい顔つきの個体でした。

元気な頃は、群れのみんながだらけているなかで、良太郎だけが見張りに励む姿をよく見かけました。良太郎の異変に気づいたのは、2017年の晩秋でした。その頃より下顎が腫れはじめました。下顎の腫れが少しずつひどくなったため、2018年の7月に麻酔をかけ検査しました。ほとんどの歯がなくなっており、わずかに残った歯もひどくぐらついていました。歯肉炎が原因と思っていたそれらの症状ですが、その後も下顎の腫れはなかなか治まらず、8月に2度目の麻酔をかけてさらに詳しい検査をおこないました。その結果、ガンであることが分かりました。
同時に、獣医学的には手の施し様が限られる状態であることも分かりました。 

それからは、悩みと決断の日々でした。 

良太郎にどんな最期を迎えさせてやるか、それはいつで、どうやってなのか、つねに考え続けてきました。夏の終わりにガンが分かって、私たちが良太郎の生の終わりに目を向けはじめても、目の前では良太郎がその時を懸命に生きていました。
そんな良太郎を日々見まもりながら、良太郎にとって私たちにできる最善を選択しようと努力を続けてきました。 

晩秋には、腫瘍が自壊して出血が続き、下顎の骨も溶解・変形し、見た目にはとても痛々しい状態でした。ですが、まだ食欲は維持できており、日中も活動的に過ごしていました。 

厳冬を迎えた頃、ガンによる痛みが良太郎の日常の暮らしへの支障を強くきたすようになりました。 

良太郎の食べる量は少しずつ減っていきました。どんなに食べものや与えかたを工夫しても、良太郎が完食できない日が増えていきました。その頃からは、ガンの影響も加わって、いっきに痩せていきました。12月の終わりには、痛みでうずくまり、それまで聞いたことのない鳴き声をあげた日もありました。
その様子を見て、最期は私たちの判断で、終わりのない苦痛から解き放ってやることを選びました。 

生きるとは何か。
命の尊厳とは何か。
生き物を飼育するとはどういうことか。 

それを見せる動物園は、どうあるべきか。 

良太郎は、その身をもって
様々なことを教えてくれました。 

最期まで頑張ってガンと闘いぬいた良太郎に、心から敬意を表します。 

そして、良太郎を看取ったいま、これが良太郎にとって最良の「生」だったかを、飼育員としてこれからもずっと考え続けていきたいと思います。そこから得た気付きを、残された三頭のミーアキャットたちの飼育にいかしていきます。それが、私たち飼育員が良太郎に最後にしてやれることです。 

皆さまには、元気な頃より良太郎をかわいがっていただき、患ってからはたくさんの励ましをちょうだいしたこと、感謝いたします。 

本当にありがとうございました。 


(写真は、元気だったころの良太郎。みんな仲良し!2016年7月末に死亡したメスのラルクも一緒に。)

△ページトップへ